03-5294-5030

10:30~17:30
(木曜日・祝日を除く)

キャリアコンサルタント・CDAにインタビュー

人の力になりたいという気持ちが原動力!それが社会の役に立つのがキャリアコンサルタント資格です!!

活躍事例として、キャリアコンサルタント・CDAへインタビューした内容をご覧いただけます。

インタビュー一覧はこちら

キャリアコンサルタント養成講座の歴史(1)〜キャリアカウンセラーが生まれた背景〜

Voice from...

  • 立野 了嗣 氏
  • 特定非営利活動法人 日本キャリア開発協会(JCDA) 会長

所属先: 特定非営利活動法人 日本キャリア開発協会  会長

日本キャリア開発協会 会長
ACDA(Asia Career Development Association) 会長
著書『「経験代謝」によるキャリアカウンセリング』晃洋書房
著書『キャリアカウンセラーのためのスーパービジョン』金剛出版

キャリアコンサルタント養成講座の歴史

〜キャリアカウンセラーが生まれた背景〜

現在、国家資格となったキャリアコンサルタント資格。実は、日本マンパワーが1999年に株式会社としては最初に「キャリアカウンセラー(CDA)養成講座」の募集を開始しています。なぜ、その当時キャリアカウンセラーに注目したのか、その背景に迫ります。

今回は、 日本キャリア開発協会 会長であり、元日本マンパワーでキャリアカウンセラー養成講座を立ち上げた、立野了嗣さんにお話を伺いました。

「キャリアカウンセリング」誕生のきっかけ

そもそもは1973 年に起きたオイルショックの時に遡ります。当時、「人員の合理化」という名のもとに多くのサラリーマン、特に中高年齢者が人員合理化(リストラ)の対象になりました。
対象となった多くの方々と出会う機会がありました。そこで感じたのは、高度成長期を経て「強い」と言われてきた日本のサラリーマンが、いかに「会社」に頼って生きているのか——ということでした。例えば、一部上場機械メーカーの部長職の男性は、自身のキャリアを述べる際、「何をしてきたか」という表現はなく、すべて「何をさせられて来たか」という表現で語るといった具合です。

その様な経験を通して「人のキャリア」を考えはじめました。 さらに、その考えが大きくなったのは、それから約20 年後、1992 年のバブル崩壊時期です。オイルショックよりもさらに広範囲に渡るリストラが各企業で実施され、日本の雇用事情は深刻な状況に陥りました。

そこで、当時勤めていた日本マンパワーでサラリーマン個人を対象に具体的なキャリアプランの立案方法とカウンセリングを合わせたサービスを提供したところ、カウンセリングのニーズが非常に高いということが解ったのです。

具体的には「職を変える」という意識をお持ちの方が多く、その相談を受けるためには、我々が持っていた能力開発という視点でのノウハウでは対応が難しく、雇用に関わるノウハウや理論といったものの必要性を感じました。そこで、適切なプログラム探しを始めることに——。これが、日本に「キャリアカウンセリング」を導入するきっかけとなったのです。

講演する立野氏(2001年)

「キャリアカウンセラー」が生まれるまでの動き その1

キャリアの形成という視点で、カウンセリング技法を探す中、「キャリアカウンセリング」という言葉に出会いました。そこで、日本のさまざまなカウンセラーの団体や研究所を訪ねたり、日本のキャリア開発の大御所と言われる方々に「キャリアカウンセリングとは何?」と聞きました。しかし、普通の「カウンセリング」と「キャリアカウンセリング」の明確な差がなかなか見つかりません。そこで、「キャリアカウンセリング」が盛んなアメリカで調査をすることにしました。

そこから、誰と会えばいいのか、どこに行けばいいのかなどを調べ、1996 年、実際に渡米。アメリカカウンセリング学会の名誉会長に会うためにペンシルベニア州立大学を訪れたりと、いろいろと回ったのですが、なかなか探しているものに出会うことはできませんでした。

諦めかけた頃、アメリカでアセスメントツール(テスト)を手がけるACT 社のワシントン支社に行くと、入り口に「ホランドの6角形」がかかっていました。

これは職業上の6つの興味分野に基づくパーソナリティ・タイプを6角形で表現したもので、職業心理学の理論に基づいたものです。ACT 社でこうしたものに出会うとは当初予想していなかったのですが、これが後々CDA資格誕生のきっかけとなります。というのは、この後、ACT 社の本社を訪問したのですが、そのときに出会ったACT社の副社長・ジョアン=ハリス=ボールズビー博士は、全米キャリア開発協会(NCDA)の会長を務めていたのです。ここからボールズビー博士とキャリアカウンセリングを挟んだ長い付き合いが始まりました。

時を同じくして、アメリカ労働省の一機関であるNOICC(National Occupational Information Coordinating Committee:アメリカ職業情報調整委員会)にカウンセリングのマニュアルがあるらしいという情報を得て再度渡米。その際にACT 社の本社にも訪問。日本に「キャリアカウンセリング」を広めるキーパーソンとなった、ボールズビー博士の日本招聘にこぎつけました。

「キャリアカウンセラー」が生まれるまでの動き その2

1998 年冬、ボールズビー女史に来日してもらい、キャリアカウンセラー養成研修を開催してもらいました。その際にアメリカで、「CDF(Career Development Facilitator)」という資格ができたことを知りました。この資格は、当時のアメリカ・クリントン政権のもと、ワンストップセンターで働く職員などのキャリア支援実践者の質の向上を目的とした、「キャリアカウンセリング」の基本技術を伝えるプログラムとして開発されたものです。

この先、日本でも必ず必要になるだろうと確信があり、ボールズビー博士に情報提供をお願いしたところ、資料を送ってくれることに。というのも、そのマニュアルの一部を彼女が執筆していたのです。

その後、このプログラムを日本へ導入することの契約にこぎつけ、再度プログラムを加筆・修正をしてできあがったのが「CDA(Career Development Adviser)」の養成プログラムのマニュアルでした。

2000 年には、そのマニュアルを使った日本初の「キャリアカウンセラー養成コース」を日本マンパワーで開設。同年には「CDA」を取得したキャリアカウンセラー第一期生が誕生しました。そして、同年、東京都の認可を受けて 特定非営利活動法人日本キャリア開発協会(JCDA) が設立しました。

設立イベントの様子(2001年)

インタビュー一覧はこちら